映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』公開記念 — 田部井淳子とファーブル・ルーバ〈ビヴォアック〉
挑戦のいただきで刻まれた”時”
今週末より、世界で初めてエベレスト登頂に成功した女性登山家、田部井淳子さんの生涯を描いた映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(公式サイトはこちら)が全国で公開されます。
その偉大な挑戦の瞬間、彼女の腕にはスイスの名門時計ブランド〈ファーブル・ルーバ〉の〈ビヴォアック〉がありました。
高度と気圧を機械的に計測できるこの時計は、1975年のエベレスト遠征において、彼女の命と夢を支えた“もうひとつの相棒”でもあったのです。

Courtesy of Favre Leuba SA
挑戦の始まり
田部井淳子 ― 世界で初めてエベレストに登頂した女性
1975年5月16日、驚異的な持久力、意志の力、そしてチームワークによって、ひとりの日本人女性登山家があらゆる困難を乗り越え、エベレストの頂に立ちました。世界で初めてその偉業を成し遂げた女性、田部井淳子。その腕には、スイス製のファーブル・ルーバ〈ビヴォアック〉高度計ウォッチが着けられていました。
田部井はこう語っています。
「私にとって、そしておそらく世界にとって、エベレストとは“夢を実現するためにあらゆる困難を乗り越える”ということの、肉体的かつ象徴的な表れなのです。」

Courtesy of Favre Leuba SA
田部井淳子の原点
那須の山で芽生えた登山への想い
1939年、福島県に生まれた田部井は、幼い頃から登山に親しみ、小学4年生のときに担任教師に連れられて那須連山を訪れました。9歳で初めて山の世界に足を踏み入れたその体験は、彼女に生涯忘れられない印象を残しました。多くの人が初めてアルプスの世界に触れたときのように。

Courtesy of Favre Leuba SA
「私の最初の印象は、登山は他のスポーツのように競争的ではなく、チームで争うものではないということでした。どんなにゆっくり歩いても、一歩ずつ進めば頂上にたどり着ける。一方で、どんなに苦しくても、代わりの選手に交代することも、他人に任せることもできない。自分自身でやり遂げなければならない。9歳のとき那須岳で学んだその教訓を、私はその後の人生にも生かしてきました。」
彼女の登山への情熱は10代から20代にかけてますます高まりました。1969年には、より多くの女性に登山の達成感を味わってもらいたいと考え、日本初の女性だけの登山隊を結成。海外の山々への遠征を目的とするそのチームは、やがて大きな活動の輪を広げていきました。
山に登っていないときの田部井は、世界の山岳環境の保全にも力を注いでいました。九州大学で比較社会文化の修士号を取得し、修士論文ではヒマラヤ地域のゴミ問題に焦点を当てるなど、環境への深い関心を示しました。
エベレスト、極限の試練
「技術や能力だけでは頂上には立てません。最も大切なのは意志の力です。この意志の力はお金で買うことも、人から与えられるものでもなく、自分の心から湧き上がるものなのです。」
1975年、田部井は世界最高峰エベレストへの登頂を目指しました。今日のように多くの支援技術が存在しない時代、当時の登山には強靭な精神力と高度な技術が求められました。彼女は周到な準備を重ね、〈ビヴォアック〉という革新的なスイス製時計を腕に、チームとともに登頂を開始しました。
雪崩事故と、再起の意志
しかし、標高6,300メートル地点で予期せぬ雪崩が発生。キャンプは雪に埋もれ、田部井自身も雪の下に生き埋めとなり、6分間意識を失いました。10分以上埋まると生存率が急激に下がる危機的な状況でしたが、幸いにも一部の隊員が助かっており、全員が命を取り留めました。
この事故で彼女は怪我を負い、精神的にも大きなダメージを受けました。多くの人なら撤退を選ぶでしょう。しかし田部井は、2日間の休養の後、再び立ち上がり、チームとともに残り2,500メートルの道のりを登りきり、ついにエベレストの頂に到達しました。
それはまさに不屈の精神の証でした。さらに1992年には、世界七大陸最高峰の全てに登頂した最初の女性にもなり、真の登山アンバサダーとしてその名を刻みました。
腕に宿る信頼 - 〈ビヴォアック〉という相棒
夫、政伸が選んだひとつの時計 ― なぜ〈ビヴォアック〉だったのか
夫であり経験豊富な登山家でもあった田部井政伸は、1969年にヨーロッパを訪れ、グランド・ジョラス、アイガー、マッターホルンの北壁登攀を目指していました。その遠征中に、ファーブル・ルーバとその機械式高度計ウォッチ〈ビヴォアック〉の存在を知ります。彼は登山に情熱を注ぐ妻のためにこのスイス製時計を購入し、高所での高度や天候の変化を把握する助けになると考えました。

Courtesy of Favre Leuba SA
田部井はこの時計の精度と機能性に感銘を受け、6年後のエベレスト遠征の際にも着用することを決めました。〈ビヴォアック〉はその後、彼女のエベレスト登頂の旅を支え続けた、信頼性と耐久性を兼ね備えた欠かせない相棒となったのです。
近年では、登山家エイドリアン・バリンジャーが現代版の〈ビヴォアック 9000〉を着用し、同様の偉業を成し遂げています。
そのスピリットは、いまも息づいている
エベレストの頂で〈ビヴォアック〉が刻んだ時。それは、単なる登頂の記録ではなく、人が限界を超えて挑む瞬間を支えるために生まれた時計の証でした。
そのスピリットは、半世紀を経た今もなお、ファーブル・ルーバのすべてのコレクションの中に脈々と息づいています。
挑戦する者のための時計、ファーブル・ルーバ
ファーブル・ルーバの時計は、時を知るための道具であると同時に、人間の意思と行動を鼓舞するパートナーです。険しい山岳地帯を征く冒険家、過酷な環境下で任務に臨むプロフェッショナル、そして未知への情熱を胸に日々を生きる人々──彼らの腕元で、ファーブル・ルーバは今も正確な時を告げ続けています。



〈ビヴォアック〉が象徴する“挑戦する者を支える機械式時計”という理念。それは創業以来、変わることなく受け継がれ、今日の〈ディープレイダー〉や〈チーフ〉などのモデル群にも息づいています。
冒険する者のための時計──それこそが、ファーブル・ルーバというブランドの原点であり、永遠の使命なのです。
出典:Favre Leuba Official Blog
“Junko Tabei – The First Woman to Climb Mount Everest”
画像クレジット:Courtesy of Favre Leuba SA
映画公式サイト:https://www.teppen-movie.jp/